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1993年9月、PLOのアラファート議長とイスラエルのラビン首相の間で結ばれた平和協定「オスロ合意」は、
5年間の平和的な政治交渉で長年の紛争を解決することを約束していました。
「これでパレスチナにも平和が来る」と世界中の多くの人たちが期待を寄せました。
あれから22年、平和は一層遠くなったように見えます。なぜなのか、歴史的に考えてみましょう。
●隔週木曜日 19:00~21:00
● 受講料:5000円(会員 4200円)、単発参加 800円
● 定員:20名(最低催行人数4名)
● 会場:6月末までアミダステーション、7月と9月は別会場

 

こちらの講座は修了しました。ご参加ありがとうございました。

▶ 5/14 ① パレスチナの今、パレスチナの昔
▶ 5/28 ②「ユダヤ人」「アラブ」そして英国などの帝国主義政策
▶ 6/11 ③ ナチスの暴虐、欧米人の「贖罪」としてのイスラエル 建国
▶ 6/25 ④「パレスチナ人」の登場-6月戦争(1967年)の衝撃
▶ 7/9 ⑤「平和」の幻想-オスロ合意体制
▶ 7/23 ⑥「ポスト・オスロ」―紛争解決の道はあるか?
▶ 7/30 ⑦ まとめと交流会

 

* 情勢の変化に応じて、テーマは一部変更することがあります。
■講師のメッセージ 
中東、とくにパレスチナ・イスラエル紛争は、多くの人たちが『分かりにくい』と言います。
世界史上最初の城壁都市を生み、最初のコムギ栽培を始め、三大宗教の聖地となったパレスチナは、
中東、否、世界の心臓部と言ってもいいでしょう。
だから、世界中のあらゆる勢力、諸国が関わりを持とうとするのです。
でも、『難しい』と言って済ませてよいのでしょうか。